Episode3

工・販の時代

1950~1960前半
1954 新社屋が完成
1954新社屋が完成
戦後復興を担う電気工事
1954 新社屋が完成
1954新社屋が完成

 復興が進む1951年、事業拡大のため大阪市に仕入れ拠点となる大阪出張所を開設し、仕入れ価格の低減、納期の迅速化が図られました。
 1953年に高知市本町の本社社屋を新築するも、翌年に隣家からの出火により全焼。社員の迅速な行動により、売掛伝票は1枚も焼失することなく持ち出すことができ、請求・回収の業務を滞りなく行うことができました。3日後には仮店舗で営業を始め、2ヵ月後には新社屋の建築が始まりました。
 当時は電気工事業を主体としており、県外の工事にも進出しました。当社工事部の仕事はクオリティの高さに定評があり、NHK高知放送会館、同徳島放送会館、丸亀市民会館など四国4県において、多くの施設を施主様より直接契約で受注しました。四電工様・きんでん様などがライバルであり、激しい火花を散らしていました。

1953年に完成した本社社屋
1953年に完成した本社社屋
火事により全焼したが2ヵ月後、新社屋の建築を開始
火事により全焼したが2ヵ月後、新社屋の建築を開始
宮地電機の礎となる出会い

 恒治と松下幸之助氏との出会いもこの頃で、松下電工株式会社様(現パナソニック株式会社)との取引が次第に深まってゆきました。また、恒治は高知県出身の三菱財閥の創始者・岩崎彌太郎氏を尊敬し続け、上京すると必ず墓前に土佐の花を献げました。故人になられた三菱電機株式会社の進藤貞和社長(高知県出身)にも大変なお引き立てをいただき、幅広い三菱電機様の製品は四国の市場で重要な位置づけになってゆきました。
 1966年には、大学を卒業したばかりの彌典を伴ってアメリカに出張し、全米に104の営業拠点を持つグレーバー社の多店舗経営を視察しました。その事業展開にヒントを得て、帰国後は四国4県への多店舗政策を開始。大阪市、松山市、徳島市、高松市に続き、中村市(現・四万十市)、新居浜市、大洲市、丸亀市、宇和島市と相次いで営業拠点を開設しました。

松下幸之助氏と創業者
松下幸之助氏と創業者
三菱電機の進藤社長と創業者
三菱電機の進藤社長と創業者
大学を卒業したばかりの彌典とアメリカグレーバー社を視察
大学を卒業したばかりの彌典とアメリカグレーバー社を視察
1966
アメリカ視察へ