第2次創業の時代
さらなる事業拡大を目指して今治市、川之江市(現・四国中央市)にも営業拠点を置き、四国を網羅する体制を整えました。社員数200人超の企業に成長し、制度やシステムの整備が急務となりました。
1983年、恒治が70歳の誕生日を迎え、「自分が元気なうちに事業継承をしたい」という考えから社長職を退いて会長となり、40歳の彌典が社長に就任しました。急成長を続ける会社の中で、社員が情報を共有し同じ方向に進むために、彌典は社内報「COMMON」の発刊を手がけました。
1984年、社内業務効率化を目指す「Miyaji VAN 3ヵ年計画」が発表され、全事業所をつなぐコンピュータシステムが導入されました。それまで手書きで発行していた売上・納品伝票や請求書の作成、受注・発注業務などがシステム化され、得意先に関する情報も一元化して集約できるようになり、作業効率が飛躍的に向上しました。
同年、「’84高知黒潮博覧会」が開催され、宮地照明が「Miyajiレーザー館」を出展。高い技術力と新たな照明の可能性を示しました。
「どうせ買うなら宮地電機から」と思っていただけるよう、サンサンキャンペーンやベスト10コンテスト、図面お預かりキャンペーンなどさまざまな販売企画を行い、お客様に喜んでいただける要素を増やしました。創業40周年を迎えた1985年には、「つくば科学万博と東京ディズニーランドの旅」を企画し、300名のお客様をご案内しました。
お客様の手元にあふれるカタログの情報を集約した「グッドライト280」や「NETWORK」を発刊するほか、残長表示のついた引込ケーブルをオリジナルで商品化し、お客様にとって「役立つMiyaji」となる姿勢を明確にしてゆきました。
さらに、当社の社員とお客様が一緒に最新商品・技術について学ぶ「ミヤジ・エンジニアリングツアー」「エンジニアリング・スクール」を開催し、時流を掴み一歩先ゆくエンジニアの育成にも力を注ぎました。
「Good Light 280」
社員教育にも力を入れ、アメリカやヨーロッパなどへの海外視察やプレゼンテーション力を磨く中堅社員のための研修などを行い、1985年には全社員が集う「ジョイフル・ミヤジ85」を開催。宮地電機グループの結束を固め、お互いに切磋琢磨しあって伸びゆく機会となりました。その後も全社員が集う研修は、「パワフルMiyaji」「京都会議」と名前を変えながら1991年まで続きました。
