Episode2

創業期

1946〜1949
電材販売の事業を拡大
1946 宮地電機株式会社に改組
1946宮地電機株式会社に改組

 1946年11月、法人に改組して宮地電機株式会社とし、宮地恒治社長以下18名でスタートしました。電気工事材料の入手困難な時期、同業の電気工事業者から材料を分けてほしいと言われるようになり、電気工事材料の販売へと事業を拡大。その企業理念は、「社会への寄与、業界のトップ、従業員の幸福」と打ち立てられました。
 同年12月、四国電力の要請を受けた恒治は、土佐電気工事株式会社を設立して社長に就任、県下の送配電線路の建設を進めました。恒治が土佐電気工事の社長を務める間は、弟の寿男氏が宮地電機の社長に就任しました。後に土佐電気工事株式会社は四国他3県の電気工事会社と合併し、現在の株式会社四電工となりました。

1946 宮地電機株式会社に改組
1946宮地電機株式会社に改組
現在の四電工の前身、土佐電気工事株式会社の幹部と創業者※写真中央
現在の四電工の前身、土佐電気工事株式会社の幹部と創業者※写真中央
宮地電機の社長に就任した宮地寿男氏
宮地電機の社長に就任した宮地寿男氏
当時の企業理念
当時の企業理念
1946 キャッチャー・ボートで 捕鯨をはじめる
1946
キャッチャー・ボートで
捕鯨をはじめる
食料確保のための捕鯨

 戦争が終わり、やっと平和が戻ってきたものの、戦後の食糧不足は深刻でした。特に動物性たんぱく質の不足は著しく、何とかしなければと考えた恒治は、小型捕鯨船の許可を受けて「弥生丸」と名付けたキャッチャー・ボートを造り、室戸岬町椎名を母港として捕鯨をはじめました。太平洋でゴンドウ鯨の群を追い、銛(もり)を放ち捕獲する雄姿は、当時の高知新聞正月特集号のトップを飾りました。