変革の時代
1980年代後半は、宮地電機グループ変革の大きな流れがやってきました。
1988年4月に、宮地照明の20周年を記念して、高知支店ショールームの大規模なリニューアルを行い、ひかりを体験するショップとして生まれ変わりました。高知市神田にはこれからのIT時代に対応するためのオートメ開発部インテリジェントオフィスが誕生しました。
1989年には彌典を中心とする幹部らで練り上げた「5ヵ年経営計画」が発表され、社員群制度、4週7休制、誕生日休暇制度など、社員の成長と幸福のためにさまざまな新しい人事制度が導入されました。社員のサークル活動への援助や、ビデオライブラリーの設置、通信教育制度のスタートもこの頃です。新入社員職能別研修など、人財育成の面でも充実を図りました。
新事業への参入
時代がめまぐるしく変化し、会社の発展のために新たな事業の展開が求められる中、宮地照明高知支店の建物老朽化に伴い、新しい商業ビルの建設準備がスタートしました。社内外のメンバーで構成する本町ビル建設委員会が中心となって検討を重ね、当時大学4年生だった貴嗣も参画しました。その後、大手デベロッパーに就職していた貴嗣が帰高し、1993年3月に生活文化事業部の副事業部長として入社しました。
構想から3年、1993年5月にレストラン、グッズショップ、アートギャラリー、インテリアショップ、バンケットホールを備えた複合商業施設「ラ・ヴィータ(LaVita)」がオープンし、華やかで夢のあるラ・ヴィータは、高知の街に希望を与えました。
ラ・ヴィータ開店の前年に、創業者の恒治が79歳で永眠しました。完成を目前に、さぞ無念な気持ちで一杯だったと思われます。社葬では多くのお客様や仕入先様にご会葬いただきました。
1993年10月に発表された「第5次5ヵ年経営計画」では、
「流通業から創造業へ」という大きな指針が示され、新聞等でも新事業への挑戦や福利厚生面の充実など、先進的かつアグレッシブな取り組みが注目を集めました。
電材事業ではファンを増やす取り組みが活発化するとともに、1991年には、高知市南御座に空調・音響・HA・電話・TV共聴設備に特化した技術センターを開設し、時代の技術革新と技術者不足に応えました。
また、「良品を安く即納で」をコンセプトに、照明器具「ももlight」、換気扇「ももファン」が開発され、製造・輸送コストを削減し、商品在庫を効率よく共有するためにみやじ便の運行も開始しました。高松・松山にはロープライスの「ミヤジ・ライトショップ」をオープンし、一般ユーザーに照明専門店として身近に感じていただける存在となりました。
オープン
1995年から電材事業部の営業体制は大きく変わり、県別に営業部長を置く地域別営業部体制へと移行しました。当時、四国のマーケットシェアは約25%で、マーチャンダイジンググループ、開発営業グループ、地域担当グループが連携し、さらなるシェア拡大を目指しました。 1997年、宮地電機は創業50周年を迎え、社章を一新。記念行事「HEAT UP MIYAJI 97」を開催し、社員の結束を深めるとともに、「最強の商人になろう」という目標を掲げて次の時代への一歩を踏み出しました。社員一人ひとりの成果とやる気が個人の所得増につながる成果主義人事制度が導入され、社内間でのより円滑なコミュニケーションと密なる情報共有、ペーパーレス化を目的として、情報ネットワーク「M-Net」がスタート。その後、「M-Link」へと進化し、今日も会社の重要なコミュニケーションツールとして活用されています。
